パターン3
次々と計画が頭をもたげてくるのは気持ちが良かった。ひさしぶりに、生きているという気分になった。31
結婚して子育て中の主婦の同級生が、子どもにもっと塾とか習い事させたいから、もっと親とか姻族にお金だして貰いたいななどと言っているのを「ほとんど違う国の人間が話していることのように」聞いている
アウトリガーカヌーにのっているパプアニューギニアの少年の写真
夫から子供をつれて離れてきた友人を見ながら、不確実な結婚制度や人に比べてお金はまだある程度確実だという思いをもつ
水を替えているだけだが萎れる様子がないポトスを見て「すごい」と思う。
忙しくしないと生きていけないのだ、家を改修しなければいけないし、毎日ご飯を食べなければいけない。暗い夜には電気をつけ、暑い夏には冷房を、寒い冬にはこたつや石油ストーブを動かせるだけの生活を維持するために。維持して、それからどうなるんやろうなあ。わたしなんかが、生活を維持して。ナガセは自分の顔を見るのが嫌になって目をつむる。
ポトスは「最低課金の娯楽」だと気づく。しかし毒があるので食べられることはできないという。人間もそうだ。目的もなく生を維持したところで、誰かに食べてもらうでもなし、死んだら死んだで葬式が義務付けられているのでまたお金が筆ようになる。自分にとって、自分の命そのものには経済的なメリットなどない。ただ部品のように労働させて搾取する側にとってだけ経済的に価値がある。目的や計画のない生は維持する意味があるのか?
自分の生活に一石を投じるのが世界一周であるような気分になる。最終的にクルージングにいにいとしても、これからの一年間で163万円そっくり貯めることは少しもいけないことではない、という言い訳を思い付く。
最終的にクルージングに行ったのか、そうは思わない。モチベーションとなるものを探していただけだからだ。では希望はあるのか。目の前の気晴らしにお金を使っては貯めてを続けるだけの毎日が変わらず続くだけなのではないか。読み終えてしばらくは心が晴れるのかもしれないが、維持する生を植物のように温存させるだけにならないか。
大江健三郎のアフリカとパプアニューギニアの関連 なぜアフリカ? 逃避願望による空想の彼岸的な世界の象徴?
維持する生(津村 記久子『ポトスライムの舟』感想)
津村氏の小説を初めて読んだ。文庫版で100ページほどの短い話で、さくっと読み終え、
まあなんか平凡な小説だったな、と思った。そのあと解説を読んで、本作が芥川賞受賞作だということを知って少し驚いた。まあそもそも芥川賞がどういうものかも知らないので、そんなものなのか、とも思った。しかし思い返してみると、わたしは当初(この本を手に取る一週間前くらいのこと)、この小説を芥川受賞作だと知ったがために読もうと決意したはずなんである。だがまあその推定も今ではもう確かではない。すでに若年性痴呆が始まっているらしい。最近は、自分の話をするとき、「この愚老は~」といって話を始めている。一般に、愚老という奴は、言い訳や話の前置きが長いものと決まっており、今もこうして、ああつまらない前書きを書いてしまっておるなあ、というこれまた言い訳めいた前置きを余分に書いて、つまらない前置きをさらにまた長くしている。だが、長くなっていることについて愚老の名にかけてまた少し言い訳をさせてもらう。まずはじめに言っておくと、今この愚老がこうして面倒臭くもせっせと記事を書いているのは、もっぱらこの友人が作ったサイトに貢献せねばならぬという使命感に基づくものであり、いや、というよりも今頭の中には使命感しか無いがゆえに、前置き以降の本論なるものに相当する内容をまだ何も考えていないんである。たとえばむかし小学校の授業で、授業の感想文を授業中に書かされていた時のこと。適当な「感想」をひねり出すため、なにかそれっぽい考えがどこからともなく降ってくるまで、だらだらと前置きや常套句を引き延ばしてとりあえず字数を増やして(埋めて)いった経験を誰しもが持っているんではなかろうか…。
ここまで一息で書いたもののまだ全然降ってこない。まあ何も考えてないので仕方がない。外堀を埋めるように、まずは周辺から攻めることにする。津村氏はエッセイ本も書いている。図書館で本作の隣に並べられていた『やりたいことは二度寝だけ』、『二度寝とは、遠くにありて想うもの』を読んだ。おもしろいわけでもないのに、両方とも読んでしまった。読み始めた本はなんとなく最後まで頁を繰らないと気持ちがわるいのもあって、一時間ほどかけてざっと読み、我ながら暇人だなあと思う。このエッセイによると、津村氏は会社員時代にパワハラのようなものを受けた経験があるらしい。『ポトスライムの舟』 (講談社文庫)に収められている、もうひとつの小説『十二月の窓辺』の主人公はパワハラを受ける会社員で、そのときの実体験を下敷きにしているのだろう。会社員として働くのも大変だし、かといって、正社員のような保護もない上に薄給のパート・非正規雇用として働き続けて生活を維持するのも大変だなあ…と思う。
『ポトスライムの舟』の主人公、長瀬由紀子(ナガセ)も、過去に上司からパワハラを受けて退社し、現在は工場で機械のように働く29歳、一年の手取り収入が165万6千円の契約社員である。休憩終了のベルが鳴り、ラインが動き始める。流れてきた一本目の乳液を表裏上下と繰り返して確かめ、再びコンベアに戻す。これから約2時間ナガセはそれだけをする人間になる。(p17)
ナガセは時給800円のパートを4年間勤めてようやく契約社員に昇格できたということのようだ。
生きるために薄給を稼いで、小銭で生命を維持している。(26p)
ナガセは、時間(自分の人生)を金で売っていのちを維持する暮らしに嫌気がさしており、「仕事をするためのモチベーション」を無理やりにでも求めている。